9月1日は「防災の日」95年前に起きた関東大震災の教訓とは?

学生の頃は9/1にちなんだ防災訓練が学校で実施されていたので、

9月1日が「防災の日」というのは何となく記憶に残りやすかったですが、

社会人になると、会社の規模によって訓練を実施したりしなかったりするので

防災の日」という感覚が薄れてしまったような気がする。

 

1923年大正12年)9月1日11時58分に発生した

関東大震災

ちょうど正午に近い時間帯だったことから、

昼食の準備で炊事をしていた家庭も多かったであろう、

主な被害の原因は火災だったらしい。

火の元は昔も今も気をつけなければならない。

最近では2016年12月22日の

新潟県糸魚川市の大火も記憶に新しい。

発生時刻は関東大震災と同じく昼前だというから

歴史は繰り返されているとも言える。

 

話題は関東大震災に戻るが、

今回注目したいのは、この後のテーマ。

 

当時の混乱ぶりと、

災害などで人間が「非日常」のカオスに追い込まれた時、

 

人々がどの様な心理状態になるのか?

どの様な行動に出るのか?

 

深く心を痛める、

悲しい出来事が起きていたことを

忘れてはならないと思う。

 

wikipediaより引用

関東大震災 - Wikipedia

 中でも注目は

 

地震の混乱で発生した事件」

 

の記事だ。

 

軍活動[編集]

同時に、陸軍の中では、震災後の混乱に乗じて社会主義自由主義の指導者を殺害しようとする動きも見られた。

甘粕事件(大杉事件)では、大杉栄伊藤野枝・大杉の6歳の甥橘宗一らが憲兵隊に殺害され[40])、亀戸事件では労働運動の指導者平澤計七ら13人が亀戸警察署で、近衛師団に属する習志野騎兵第13連隊に銃殺され、平澤が斬首された。

震災後の殺傷事件[編集]

 

震災発生後、混乱に乗じた朝鮮人による凶悪犯罪、暴動などの噂が行政機関や新聞、民衆を通して広まり[42][43][38]、民衆、警察、軍によって朝鮮人、またそれと間違われた中国人、日本人(聾唖者など)が殺傷される被害が発生した[44][45][46]

これらに対して9月2日に発足した第2次山本内閣は、9月5日、民衆に対して、もし朝鮮人に不穏な動きがあるのなら軍隊および警察が取り締まるので、民間人に自重を求める「内閣告諭第二号」(鮮人ニ対スル迫害ニ関シ告諭ノ件)を発した[47][48]

 

 

震災後の混乱に便乗した形で、

危険分子を抹殺しようとするという、

身の毛もよだつような事件。

 

そして、朝鮮人や中国人が放火や暴動が起こした等の理由から

虐殺されたという事件。

それに巻き込まれる形で、異国人に間違えられた日本人も命を落としたという。

 

人間が「平常心」でいられるか否かという瀬戸際であり、

関東大震災が究極の心理状態だったとは想像に絶する節はある。

 

ただでさえ、現代とは違ってマスコミと言えば

「新聞」しかなかったという時代。

噂や風評というものがどれだけの力を持っていたことか。

 

ただ、どんな状況であってもブレないものがあれば、

ブレない信念・信条であったり、

ブレない想いであったり、

ブレない観念であったり、

 

そういうものが人々に深く浸透していれば

この様な悲惨な出来事は起きなかったのではないだろうか?

そんな想いに駆り立てられる。

 

流石に現代では、

インターネットも普及し、

テレビ、ラジオをはじめ、

情報が手軽に収集できることは取捨選択できる意味では豊かになった。

 

しかし、

フェイクニュースやデマ情報なども横行し、

それらに扇動されてしまうケースもあることから

現代においても、

「正しい情報が何なのか?」を

情報を受け止める一人ひとりが判断すること、

判断する時に、

偏りのない判断基準で受け止められること。

 

そういった、

正しい情報をいかにしてキャッチできるのか?

誤った情報に騙されずにいられるのか?

その能力が必要な時代。

 

不幸な形で命を落とした方々の鎮魂を祈るとともに、

これ以上、同じ歴史を繰り返してはならないという

決意を胸に刻みたくなる、

9/1という日にそんなことを想った。