日大アメフト部の事件で思うこと その1

最近マスコミで大きく取り沙汰されているニュースのひとつ、

「日大アメフト部のラフプレー事件」で思うこと、感じることをお持ちの方も多いのではないでしょうか?

今回は、この事件を通して私の感じたことも少し書き留めてみたいと思います。

 

このブログはマスコミではなく、

あくまで "私が感じたこと" なので、

「誰が悪い」とか、「誰が正しい」とか

そういうことを書くつもりはありません。

 

ただ、

プレーをしていた「学生」と、

指揮・指導をしていた「コーチ・監督」との

意思疎通がどの程度出来ていたのか?

それが気になりました。

 

日本は、

「阿吽(あうん)の呼吸」

とか、

最近政治の世界で話題になった

「忖度」(そんたく)

だったり、

「空気を読む」(転じて「KY」)

など、

相手を "察する" 文化があります。

それは時に、コミュニケーションや人間関係が円滑にいくとか、

本来は、ポジティブな意味がたくさん含まれている文化であり、

相手を思いやることができる素晴らしい文化でもあります。

 

しかし、一歩間違えると相手の意図していることと、

受け取る側(察する側)のイメージがズレて、円滑どころか逆に

破綻してしまうことも残念ながら起きてしまいます。

「そういう意味で言ったのではない」とか、

意思の疎通が出来ていない状態ですね。

 

今回の日大アメフト部の生徒と指導者の関係性やコミュニケーションにおいては、

「言った」「言ってない」だけでなく、様々な思惑が入り込んでいると感じますし

一概には言えないですが、

ただ、

「相手を潰してこい」というのが

「そのくらいの気持ちでやる」というニュアンスで言っているという

指導者側の釈明については、

非常に「誤解を生む言葉のやりとりをしていたのではないか?」

あるいは「その言葉から何を汲み取ればいいのか?のプレッシャーを与えている」

と感じざるを得ないですね。

 

そもそも、生徒と指導者の関係性がしっかりしていれば、

まさか事故が起きるようなラフプレーを本気でやるには至らないはずですし、

日頃からどのようなコミュニケーションをしていたのかも気になる所です。

 

少し飛躍しますが、

言葉が持つ "イメージ" をコミュニケーションの中で

例えばビジュアル化して共有することができれば

こういった齟齬(そご)は自然と無くなっていくはずですが、

往々にしてこの "言葉" であり "言語"というものは扱いが難しいものですよね。

言語の機能自体がズレて当然なのですから。

 

もし、私たちが使っているこの "言語" に "イメージ" の機能が補完されたら・・・

それって凄いことですよね?

実は密かに "イメージ・言語" なるものが発明されていたのです!

詳しくはまた別の記事でご紹介したいと思います。

お楽しみに!